妄想シリーズ
【地上戦がはじまる】
お客さんが入る前のライブハウスはとても静かで、まるで真夜中みたい。
私たちがライブハウスに入る頃にはスタッフの人たちがいろいろとお仕事をしていて、でもまだまだ夜明けみたいなもの。
リハーサルは新聞やさんみたいなもので、今日のお知らせにすぎなくて、今日このライブハウスがどうなるのかはまだわからない。
そしてお客さんたちが入り始めると、ガヤガヤとうるさくなりはじめて、それは一気にあがる朝日のようなもの。でもまだ一日は始まらない。
「またあやちゃん緊張してるん?」
私は部屋のすみっこでステージにあがるほんのちょっと前、あ〜ちゃんになる前のあやちゃんに声をかける。のっちは鏡を見て前髪をいじっている。
「手、ふるえとるんよ」
あやちゃんが緊張するのはいつでも一緒で、どんなに小さなステージでもこんな風に緊張している。私はあやちゃんの指をあたためるようにそっと握り締める。
小さく震える手はまるで氷みたいに冷たい。
「いい加減慣れんと」
「慣れないよ」
あやちゃんは困ったように笑う。
「ねえ、おかしくない?」
のっちがブラシを手に振り返って、口をへの字に曲げた。
「またあ〜ちゃんは緊張してるの?」
「うん、そう」
のっちの問いかけにもあやちゃんは困った笑いを張り付かせたままだ。あやちゃんの手の上に重なった私の手にのっちが手を重ねる。そしてのっちは笑った。
「ふふふ」
その笑顔にあやちゃんも笑う。
「ふふふふ」
のっちの手は少しだけ湿っていて、なんだかあったかい。私もなんだかおもしろくなって笑う。
「ふふふふふ」
私が笑うとあやちゃんは突然立ち上がる。
「いかん、こんなことじゃ」
あやちゃんが鏡に向かってポーズをとる。
「またはじまったよ」
のっちが肩をすくめる。
「よし、行くぞ!」
あやちゃんがひとりで気合を入れ始めた。
そしてもうすぐライブが始まる。
大きな歓声―――そして光。
私たちはステージに向かって駆け出した。